ももいろリボンプロジェクト | 末期がんの緩和ケア ご家族のための「在宅緩和ケア」「食事」「自宅での医療」の知識【神奈川県川崎市幸区の在宅緩和ケアクリニック】

ももいろリボンプロジェクト | 末期がんの緩和ケア ご家族のための「在宅緩和ケア」「食事」「自宅での医療」の知識【神奈川県川崎市幸区の在宅緩和ケアクリニック】

ももいろリボンプロジェクト

何で医者、外科医になりましたか?と聞かれることがよくあります。なぜこのようなプロジェクトを始めたかということも含めて、少しお話をさせていただこうと思います。

私はいろんな場面で覚悟を決めるということを自分に課してきました。私が最初に医者になりたいと思ったのが小学校二年生のときです。足に障害がある女の子が同級生にいて、いつもいじめられていました。

私はいつもいじめている男の子たちに立ち向かっていたのですが、そういう中で、病気というものが人の差別や偏見を生むのだろうかと感じていました。ならば、このような病気に対する差別とか偏見を世の中から無くしていきたいという思いが私の中に芽生え、それが医者になりたいという思いになっていきました。

これをきっかけに、医者になる為にはどうしたらいいのだろうか?と考え、テレビや漫画など、あらゆる娯楽というものを自分の中から排除し、ストイックに勉学に打ち込もうと心に決め、運もあって医学部に入ることができました。

医者として働き始めた研修医の二年目、次にどういう風に道を選んでいこうかという時に、自分は何で医者になったのだろうか?と問い直す機会がありました。そこで過去を思い出しました。小学校の同級生の女の子の姿が脳裏に焼きついていて、いじめや差別、偏見をなくしていきたいと。そして病気を治していきたいと。

そこで自分はまず、骨折などを直す整形外科医になろうと思いました。ただ、自分はその女の子だけを救えばいいのかという事を次に考えました。誰かが倒れていた、その時にあらゆる手段を用いて助けることができるためには何が必要かというと、頭の病気とか心臓の病気とか、全身の病気を管理する為の知識が必要だ。更に手術という手段も身につけなければいけない。ということで、自分は外科医になろうと研修医二年目に覚悟を決めました。

外科医として研鑽し、さらにがん治療という事を経験していく中で、医者になって10年目のときです。今度は乳がんの患者さん、女性一人で男の子と女の子の二人のお子さんを育てているお母さんが、お子さん達を残してこの世を去っていった。

その女性と子供たちを見たときに、病名を伝えることから始まって、ずっと末期とか最後の瞬間まで支え続けていくという緩和ケアの大切さを身にしみて感じたのです。緩和ケアを始めようと、10年目に覚悟を決めました。

また、更に乳がん検診という事を広めていきたいということで、どのようにしたらよいかとずっと悩んできました。その悩みの結論が、このももいろリボンプロジェクトです。

仲間たちを集めていこう。仲間たちを集めてこのような場に皆で一緒に勉強して、更にここで交流を深めていって、乳がん検診は大切だよという事を、お互いの口コミで広めていっていただこう。このように考えてももいろリボンプロジェクトというのを計画しました。

これはピンクリボンプロジェクトに対抗しているわけではありません。10月になるとピンクリボンプロジェクトでいろんなところがピンク色になっていきますが、それを見て、乳がん検診に気が付く人も、気が付かない人もいます。関心がある人は、ピンクリボン運動の色々なイベントに参加されますが、興味の無い人は、何かやってるわね、というくらいで終わってしまいます。

このようななかで、ここの皆さんたちが中心にになって、10月以外も年間を通して、乳がん検診は大切だよ、体大切にしようね、皆で輝いて行こうね、女性たち、ということを伝えていって欲しい。これが、ももいろリボンプロジェクトなのです。

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